トーマス・マン『魔の山』ブックカバーチャレンジ3日目

【ブックカバーチャレンジ】NO.3
トーマス・マン『魔の山』高橋義孝訳、1969年初版刊行、新潮文庫

神谷美恵子が1936年、結核再発した折の心境を書いている文章にトーマス・マンの『魔の山』のことをひいています。

「この時はもう死と向かい合わせで生きている心境であったから、自分に思想があるなんかなどどうでもいいことであった。
必死に生きつつ、自己の死を考えていると時、そんな事を気にする余裕などないものだ。当時結核は驚くほど恐れられていて、周囲のものも宗教の伝道者でさえも当然ながらわたしのそばに近寄るのを避けていた。それを目のあたりに見てから一挙に1人きりになった思いがした。
病気が治ってもふつうの家庭生活はあぶない。と医師は言う。当時の娘としては、レールのないところを走らなければならなくなった。
トーマス・マンの『魔の山』のように療養中は一種の真空状態に生きていたが、現実に戻るとなれば、くらくらとめまいがする。」

『魔の山』は、著者、トーマスマンで、1924年に刊行されています。日本で翻訳が刊行されたのは1969年、1936年の結核療養中の神谷が読んでいたのは、ドイツ語で書かれた原著であると思われます。(残念ながら、2018年に長島愛生園神谷書庫に寄贈された神谷美恵子蔵書は、主に『生きがいについて』にひかれている外書や和書が中心であり、このトーマス・マンの『魔の山』の原著はありませんでした)

『魔の山』は、主人公ハンス・カストルプがハンブルグで造船技術を学び、就職が決まっていましたが、いとこのヨーヒアムの見舞いも兼ねてサナトリウムに逢いに行きます。
3週間の予定で行ったら、ハンスも結局、結核に罹患し、7年間もいる事になってしまいます。彼はそこでいろいろな経験をします。
 ハンスは、ゆったりとした時間の流れるサナトリウムで様々な人々に出会い成長をしていきます。世界から集まった様々な考えを持つ患者たちと触れ合う内に平凡だったハンスは、物事について深く考えるようになります。
かなり長編難解な物語でもあり、私も何回も再読している1冊であり、やはり、療養中に読むには良いかもしれないです。

村上春樹『ノルウェイの森』の主人公ワタナベ君が読んでいた小説がトーマス・マンの『魔の山』、ワタナベ君のガールフレンドの直子が療養する「阿美寮」が、ハンス・カストルプやセテブリー二が療養していた療養所を彷彿させます。
『ノルウェーの森』の冒頭の場面は、ハンブルグ空港に着陸する際に流れるビートルズの「ノルウェーの森」の楽曲を聴いた主人公が混乱する場面から始まります。
トーマス・マンの『魔の山』の冒頭の部分は、主人公の青年が故郷ハンブルグをたって、スイスに向かう場面から始まります。
おそらく、村上春樹も魔の山を読んで構想したのかもしれません。
村上春樹の『ノルウェーの森』とトーマス・マンの『魔の山』との関連を調べている文学研究者もおられるようです。

時間的、体力的余裕のある時に読む事ができる一冊です。

余談ですが、魔の山の舞台となったサナトリウムについての情報、ネットよりコピーです。

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ダボス市は標高1,500メートルにあり、昔から結核など肺を患った人の療養の場所だった。1920年から30年代までが最盛期だった。欧州各国の医師が多くの患者をダボス市に送り、20軒以上のサナトリウムが林立していた。ドイツの作家でスイスで執筆していたトーマス・マンの『魔の山』の舞台となるサナトリウムは、ドイツ政府が実際経営していたファルベラ・クリニックということになっている。
戦後、抗生物質の普及により結核患者が減少し一時期、ダボス市のサナトリウムも経営難になったという。そしていま、再び危機が訪れている。

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